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【書評】『私は不動産エージェント: これからの不動産仲介業界スタンダード 営業職からの不動産エージェントへの道』

bookreviews

私は不動産エージェント: これからの不動産仲介業界スタンダード 営業職からの不動産エージェントへの道

私は不動産エージェント

https://www.amazon.co.jp/dp/B09YQF2NQN

2022年刊行。筆者の藤木賀子(ふじきよしこ)氏はスタイルオブ東京株式会社代表取締役。25歳で建築業界に入り、住宅、店舗、エクステリアなどの設計・施工、不動産業で経験を積む。お客様の豊かなライフスタイルのため、建築、不動産、金融のワンストップサービスを展開。公認 不動産コンサルティングマスター。

www.retpc.jp

styleoftokyo.jp

 

内容について

不動産エージェントという働き方に興味がある方向けに、不動産エージェントになるための方法についてわかりやすく丁寧にまとめています。

 

目次

まえがき
なぜ、今不動産エージェントなのか。

・不動産エージェントになるためのステップ1
「営業マンとエージェントの違いとは」自分という商品について考えてみる

・不動産エージェントになるためのステップ2
「不動産エージェントとして活躍するための場所」自分が戦う場所を知る

・不動産エージェントになるためのステップ3
「幸福な働き方を追求する」自分の働くモチベーションを保つためには

・不動産エージェントになるためのステップ4
「セルフブランディング」自分という商品の価値を高めるためには

・不動産エージェントになるためのステップ5
「クライアントの選び方」クライアントを選ぶこともエージェントの仕事のひとつ

・不動産エージェントになるためのステップ6
「不動産エージェントに必要なコミュニケーション力」生命線ともいえる重要なスキル

・不動産エージェントになるためのステップ7
「さあ不動産エージェントになろう」不動産エージェントになるための行動をおこす

 

不動産エージェントとして活躍中の藤木氏による独立の手引きとエール

「不動産エージェントに興味があるんだけど・・・」と、本書を手に取った読者に、どうすればエージェントになれるか?という最初のステップから解説してくれています。

不動産エージェントとして自分を選んでもらうためには、不動産や建築、ファイナンスに関する十分な知識を得て、なおかつ、高いコミュニケーション能力が求められ、不断の努力が必要であると著者は述べています。
でも、
「エージェントになるには努力は必要だけれども、それは決して無理して頑張ることではない」
とも述べています。


不動産エージェントになるためのステップ1からステップ7にかけて学び、自己効力感を養いながら行動に移していくために、著者が背中を押して応援してくれているように感じました。

 

 

 


私は不動産エージェント: これからの不動産仲介業界スタンダード 営業職からの不動産エージェントへの道

藤木賀子 著
Kindle ダイレクト・パブリッシング 刊
1,200円 [電子書籍あり]
149ページ

建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」~マスターと共に歩む、街歩きを兼ねた建築物の探訪~

建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」

今回からは、辰野金吾と同じく工部大学校第1期卒業生の、「片山東熊(かたやまとうくま)」設計の建築を見ていきましょう。

今回は東京「四ツ谷」駅が最寄りの「迎賓館・赤坂離宮」です。

山東熊は、フランス派の宮廷建築を得意とした建築家のため、壮麗で優美な建築を手掛けています。その最たるものが東宮御所として誕生した現在の迎賓館でしょう。ネオ・バロック様式の西洋宮殿ですが、時の天皇明治天皇に「贅沢すぎる」といわれたとか。本人は大変なショックを受けたといわれています。

四ツ谷駅を背にして、正面に見えるのが正門で、芝生に松の木を左右に見ながら前庭を進み、途中にある中門を抜けると石畳となり、建物の前に出ます。実際に入るときは、西門(建物の横部分)からですが。建物の反対側に廻ると主庭が広がり、建物正面に大きな噴水があります。建物と共に国宝です。

外観も壮麗ですが、撮影禁止の建物内部はさらに壮麗で優美です。確かに贅沢な建物ですが、国賓を招く建物としてはありかと思います。お時間があるときに、是非一度ご見学ください。

建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」
建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」

建築散歩!No.10「迎賓館・赤坂離宮」

迎賓館・赤坂離宮


建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」~マスターと共に歩む、街歩きを兼ねた建築物の探訪~

建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」

引き続き、「辰野金吾」設計の建築を見ていきましょう。今回は福岡市「天神」駅が最寄りの「福岡市赤煉瓦文化館」(旧日本生命九州支店)です。

ここは数年前に出張の際、立ち寄ったところです。昭和通りに面して、那珂川のたもとに建っています。当時、閉館中で内部を見学できませんでしたので、写真は外観のみです。縦横にデザインされた白い花崗岩が印象的で、ドームやドーマー窓の屋根がここでもしっかり載せられています。

辰野金吾は、お隣の佐賀県唐津」の出身です。武雄温泉新館楼門なども手掛けています。同期生の「曾禰達蔵」や、次世代となる大正から昭和の時代に活躍する「村野藤吾」も同郷です。唐津は偉大な建築家を排出しているといえるでしょう。

余談ですが唐津には、陶芸で「朝鮮唐津」とよばれているものがあります。茶褐色や鉄紺色の地に白い釉薬を掛けたもので、これもまた一興です。

建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」
建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」
建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」
福岡市赤煉瓦文化館
建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」
建築散歩!No.9「福岡市赤煉瓦文化館」
福岡市赤煉瓦文化館




建築散歩!No.8「京都文化博物館」~マスターと共に歩む、街歩きを兼ねた建築物の探訪~


建築散歩!No.8「京都文化博物館」

引き続き、「辰野金吾」設計の建築を見ていきましょう。今回は京都の「烏丸御池」駅が最寄りの「京都府京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)」です。大阪から帰る途中、寄り道をしてきました。

辰野金吾は駅舎とともに、No.5の日銀本店はじめ、No.6の日本銀行大阪支店、今回の京都支店や、北海道の旧小樽支店、岩手銀行赤レンガ館(旧盛岡銀行本店本館)など、日本の銀行の本支店を多数手掛けています。

当日の天候は、ぽつぽつと小雨まじりでしたが、おかげで赤煉瓦と白い花崗岩の色がくっきりと撮影出来ました。1階と2階の配色や窓周りのデザインをがらりと変えていることが見て取れます。館内の配色もこげ茶色の天井や柱、木製建具と白い壁のツートンカラーで纏められていて美しいです。

また、当日館内では、「京都工芸繊維大学」大学院建築学専攻の生徒による修了制作作品の展示会が催されていました。この中から未来の建築家が生まれるのかもしれません。

建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
京都文化博物館
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
京都文化博物館
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
京都文化博物館

駅からの導線の途中にある「中京郵便局旧庁舎」も美しい赤煉瓦建築ですので、一緒にご覧ください。

建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
建築散歩!No.8「京都文化博物館」
京都市中京郵便局旧庁舎

取得費の話 ― 『不動産フォーラム21』編集余話 ―

『不動産フォーラム21』編集余話「取得費の話」

不動産の税制について調べていると、「えっ、こういうことだったの?」といった規定に出くわすことがあります。すぐに思いついたこととして「取得費」を取り上げてみます。そんなの知ってるよ、という方も多いとは思いますが、再確認の機会として、しばしお付き合いください。

譲渡所得税は、譲渡収入から取得費や譲渡費用を控除したものを譲渡所得として計算することになっています。その取得費とは、所得税法によれば「その資産の取得に要した金額並びに設備費及び改良費の額の合計額」(所得税法38条)とされています。
一方、租税特別措置法(以下。措置法)には「長期譲渡所得の概算取得費控除」という規定があります。

「個人が昭和27年12月31日以前から引き続き所有していた土地等又は建物等を譲渡した場合における長期譲渡所得の金額の計算上収入金額から控除する取得費は、所得税法第38条及び第61条の規定にかかわらず、当該収入金額の100分の5に相当する金額とする。」(措置法31条の4第1項本文)

所得税法38条は上記の譲渡所得の計算上の取得費の規定で、61条というのは昭和27年12月31日以前に取得した資産の取得費の計算の仕方などに関する規定です。措置法31条の4は、これらの規定にかかわらず、土地建物の長期譲渡所得の金額を計算する際は「収入金額の100分の5に相当する金額とする」といっていますので、実際の所得費がわかっていても、そうしなければならないようです。設備費も改良費も関係ないということになりますね。もっとも、この規定だけだと、ずいぶん昔から所有している不動産の話では? と考えてしまうかもしれません。しかし、ご存じのようにそうでもありません。国税庁所得税関係の措置法通達に次のような記述があります。www.nta.go.jp

「措置法第31条の4第1項の規定は、昭和27年12月31日以前から引き続き所有していた土地建物等の譲渡所得の金額の計算につき適用されるのであるが、昭和28年1月1日以後に取得した土地建物等の取得費についても、同項の規定に準じて計算して差し支えないものとする。」(措通31の4-1)

通達というのは一般に上級行政機関から下級行政機関に対して発出されるもので、この通達も法令の取扱いを統一するために各国税局長あてに出されているわけですが、申告に際しては納税者もこれを参考にすることが多いと思います。

ところで、措置法31条の4では「長期譲渡所得の金額の計算上」といっています。では短期譲渡ではどうなるのか、気になるところです。国税庁ウェブサイトには納税者からの照会に対する回答が質疑応答事例として掲載されていて、ここに次のような事例があります。

中高層耐火建築物等の建設のための買換えの特例(措置法37条の5。いわゆる立体買換えの特例)の適用を受けて取得した買換資産を3年後に譲渡した場合の取得費についての照会です(https://www.nta.go.jp/law/shitsugi/joto/05/07.htm)。買換資産の譲渡価額が5,000万円だったのに対し、旧譲渡資産はかなり以前に取得したものとみえて、40万円だったとのことです。旧譲渡資産の取得価額は引き継がれますが、取得時期は買換えの時点なので短期譲渡となります。その取得費を、長期譲渡所得の計算の場合と同じように譲渡価格の5%として計算してよいかと質問したわけです。

これに対し国税庁は、

「現行法上、概算取得費控除の特例は、「長期譲渡所得の金額の計算上収入金額から控除する取得費」に関する規定ですが、短期譲渡所得の金額の計算についても適用して差し支えありません。」

と回答しています。この事例では、実際の取得価額の6倍強の250万円を取得費とすることができたのです。

ここまでの話を簡単にまとめると、こんな感じでしょうか。
「取得費とは取得に要した費用と設備費・改良費の合計額だが、長期譲渡であれ短期譲渡であれ、譲渡収入の5%相当額としてよい。」

措置法や通達には、「取得に要した費用の額が不明の場合は」といった限定は見られませんので、上記の質疑応答事例のように、取得に要した金額がわかっている場合でも、より多く控除できるのであれば、概算取得費控除を適用したほうが得になる、というわけです。

とはいえ、そのような例は多くはないのではないでしょうか。何しろ売却で得られた収入の95%が課税対象となるのですから。

実は、上記の措置法31条の4第1項には続き(ただし書)があります。

「ただし、当該金額がそれぞれ次の各号に掲げる金額に満たないことが証明された場合には、当該各号に掲げる金額とする。
一 その土地等の取得に要した金額と改良費の額との合計額
二 その建物等の取得に要した金額と設備費及び改良費の額との合計額につき所得税法第38条第2項の規定を適用した場合に同項の規定により取得費とされる金額」

譲渡収入金額の5%が土地や建物の取得費よりも少ないことを証明できれば、それぞれその金額とするとしているわけです。もちろん、購入金額がわかる売買契約書などがあれば簡単に証明できますが、そうしたものが存在しない場合、どうすればよいのでしょうか。

調べてみると、税理士などのサイトの多くに「市街地価格指数」というキーワードが見られます。

次回は、これについて調べてみることにしましょう。

業界新入社員への手紙 ― 宅建士に求められる想像力とは ―

業界新入社員への手紙 ― 宅建士に求められる想像力とは ―

「鶏口となるも牛後となるなかれ」――大企業の入社式を見ていると、どうしてもこのことわざを思い浮かべてしまう。これは大企業に属したことがない筆者の僻みかもしれない。事実「寄らば、大樹の陰」ということわざもある。


ただ、チャットGPTなど昨今のAI(人工知能)技術の進化を見ていると、組織の中の歯車的仕事は、いずれはすべてAIにとってかわられるわけだから、もはや自分以外の「なにかに頼る」という発想自体を捨てなければ生きていけない時代になるのではないかとも思う。

 

そう考えると、不動産業界を代表する資格(士業)でありながら、組織の一員でもある宅建士という仕事は〝微妙〟な職責であることが分かる。実際、15年の宅建業法改正で新設された15条に、「宅地建物取引士は購入者などの利益の保護に資するよう努めなければならない」ことが規定されたため、もし会社の指示とはいえ、この趣旨に反する行為をした場合は業法違反となる。もっともそれは業法の15条違反であって、宅建士法(まだ存在はしていないが)違反ではないところがミソである。

 

それはともかく、これから不動産業界の担い手となって働き始める人たちに言いたいことは、「仕事は何のためにするのか」という意識を鮮明にもってもらいたいということだ。「とりあえず、生きていくためには収入が必要」という考えは間違ってはいないが同時に、その仕事に人間としての〝誇り〟を感じることができなければ、結局いい人生にはならないということも理解すべきである。

 

なぜなら、そもそも「世のため、人のため」にあるのが仕事だから、仕事に誇りが感じられないとすれば、それはこの世の摂理に反した生き方をしているということだからである。

 

話は冒頭に戻るが、大企業に属していようがいまいが、人間が自分一人の力でできることは限られる。だから、「世のため、人のため」をより強く感じるためには価値観や志が近い人たちと同じ目標に向かって仕事をすることが望ましい。では、自分がやりたいこと、社会人としての志をどう見つければいいのか。

 

その意味で、「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざの現代的意味を探るなら、大木に巻きつく蔓(つる)のような生き方をしていても、熱い志は生まれてこないのではないか。特に若いうちであれば、与えられた仕事と自己との疎外感、あるいは未熟さ・無力さに真剣に悩むところから自分ならではの志が生まれてくるものだからである。大樹に守られる境遇とは無縁のものだと思う。

 

そのうえで、微妙な職責である宅建士に求められる能力とはなにかを考えたい。〝宅建士法〟なるものが制定されるかどうかはともかく、宅建士が目指すべき方向は一つだ。依頼者の利益というよりも、依頼者の幸せな人生に資するということである。であるならば、宅建士の仕事が不動産取引を安全に導くことだけにとどまらないことは明らかだ。仮にそれだけなら、リーガル・チェックを含めいずれAIにとって代わられることになる。

 

そこで、宅建士として今後そなえるべき重要な能力がある。それは、〝AIとの共存社会〟が始まろうとしている今、不動産業界が人々を幸せにするためにはAIにどういう仕事をさせるべきかを考えるセンシティブな想像力である。なぜなら、人間の幸せとは何かというテーマがいよいよ深刻化しつつあるからである。

 

 

執筆者

本多信博氏 住宅新報 顧問

1949年生まれ。長崎県平戸市出身。早稲田大学商学部卒業。住宅新報編集長、同編集主幹を経て2008年より論説主幹。 2014年より特別編集委員、2018年より顧問。
日本不動産ジャーナリスト会議会員
明海大学不動産学部非常勤講師
著書:『大変革・不動産業』(住宅新報社・共著)、『一途に生きる!』(住宅新報社)『住まい悠久』(プラチナ出版)など
論文: 週刊エコノミスト、業界団体季刊誌など多数
講演: 業界団体、NPO法人、JAなど。

 

建築散歩!No.7「南海電鉄 浜寺公園駅舎」~マスターと共に歩む、街歩きを兼ねた建築物の探訪~

南海電鉄 浜寺公園駅舎

引き続き、「辰野金吾」設計の建築を見ていきましょう。今回は、堺市南海電鉄本線の「浜寺公園」駅舎です。
難波駅から特急を乗り継いで約20分、各駅停車で約30分です。

現在、高架化工事が進んでいる為、改札口は別途設けられていました。辰野金吾の設計した公共の建物では、最も小さいものではないでしょうか。東京駅よりも古く、明治時代に建築された木造駅舎です。

遠目にはちょっと気づき難く、壁面部分は全体に白く見えますが、「ハーフティンバー」の部分が淡いブルー色とグレー色に塗り分けられていて、屋根にはしっかり「ドーマー窓」が付けられています。なかなかおしゃれな駅舎です。

浜寺公園は駅の目の前で、当時は海水浴場(リゾート)だったようですね。

 

南海電鉄 浜寺公園駅舎

南海電鉄 浜寺公園駅
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
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南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅舎
南海電鉄 浜寺公園駅